初めまして!ブログ開設!

このブログは、日本も含めて世界で起きている人身売買の現状、そこにはどんな構造的な問題があるのかを知っていただくために開設しました。

 

基本的な情報源は、政府が出したオフィシャルなものから、海外の情報誌等かと思います。翻訳はそんなに慣れていませんが、悪しからず。笑

 

そして、今日は情報等の紹介はしませんが、ブログ開設者がなぜこの社会問題に興味を持ったかについて書いていきたいと思います。

 

私は、大学生の時に国際政治に興味を持っておりました。貧困や人権等に興味がありました。よく海外旅行に行っていたのですが(先進国、後進国)、なぜこうも国によってこれらに差が生まれるのかと疑問に思っていました。もちろん、先進国でも貧困はあります。この問題は、貨幣論に大きく関わるので、またの機会に書きます。

 

フィリピンに友人に会いに行った時のこと。その友人はマニラにあるある教会を案内してくれました。教会から出ると、13歳くらいの女の子がお金が欲しいと行ってきました。「私は妊娠していて、子供を産み育てるためにはお金が必要なの」と。私たちは、お金ではなく、食べ物を私ました。なぜ、そうしたのかは今になってわかります(別の記事)。

これはかなり皮肉な出来事になっています。どういうことか。

フィリピンはキリスト教国家です。なので、堕胎は神様の意に反することから、許されていません。そして、彼女はそのことを分かって、教会の前でお金をせがんでいるのです。これには答えが出せません。神様はこのような現状をどのように考えているのでしょうか。

 

そして、今私たちは物質的に豊かに生きています。しかし、過労死や自殺と、その他多くの社会的問題を抱えています。物資的には豊かなのですが、内面において果たしてそう言えるのでしょうか。また、本当の意味で、私たちはそのようなものがあることに感謝しているのでしょうか。当たり前だと思っていませんか。それは、資本主義の中にある上では、私たちの繁栄は誰かの犠牲の上でそのシステムが成り立っています。そして、その繁栄の中にいる私たちは、別の階層の現状は気がつきにくいのです。気づいたとしても、自分には関係ない。それはその人の自己責任なのだと。そういう社会だから仕方がないのだよと。

 

アメリカの哲学者ジョンロールズが提起した「原初状態」を考える必要があります。「人間が人の性格や人種、国籍、財産など社会的立場についての知識を失った『無知のヴェール』に包まれている状態」では、どのように目の前の現状を考えるでしょうか。そのような条件の中で、正義とは何か。

そういった問いかけが必要ではないのでしょうか。

 

今後、メインで取り上げてく記事は、主に人身売買に関わる問題ではありますが、たまに自身が抱く哲学的に疑問を抱いたことも書いていきます。

では、その他の記事もお楽しみくださいね!